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The Train & The River(オリジナル)
夕暮れの日差しが、車内を濃密な橙色に染めていて、ふと、自分は車窓にもたれたまま、今どこに向かっているのか分からなくなった。窓の外、列車と並んで蛇行している幅の広い河が、さっきまで夕日を浴びてキラキラ光っていたと思うけど、今は夕暮れに暗く沈んでいる。それでも、まだそこに同じように河が走っていることは分かる。
隣のシートを見ても、向かい合う前のシートを見ても誰もいない。ということは、私はこの列車に一人で乗っていたことになる。一人で? 自分は一人で列車に乗ってどこかに行く用なんてあったろうか? そもそも、行くために乗っているのか、帰るために乗っているのかも分からない。ついでに、どこから乗ってきたのかも。ただ私は、列車に揺られている。
切符を見ればいいんだと思った。乗った駅名ぐらいは分かるはずだ。私はポケットを探ろうとしたが、ひだの多いスカートにポケットは一つで、しかもハンカチすら入っていない。他には、肩から斜めにかけているポーチがあるが、そこにも切符は入っていなかった。私は焦り始める。自分の荷物はないのだろうか。この列車は短距離用には見えないし、私はこれに長いこと乗っていたという感覚がある。
「よかった、助かったんだ!」
そんな声がして、見ると、いつの間にか通路に美しい少女が立っていて、じっと私を見ていた。気のせいか、少女の髪が濡れている。
「助かった? ……私のこと?」
「うん。これに乗っているかどうか心配してたんだよ。本当によかった」
少女は微笑しつつ私の隣に座った。そうして私の手を握る。その手は冷たかった。
「あのう……あなた、誰?」
「やだ、忘れちゃったの?」
私はうなずいた。少女から微笑が消える。
「そうか……命がけだったものね。これは最後の列車だったし。ひどいものもたくさん目にしたし……」
少女は両手で握った手を、自分の胸元に寄せる。
「何が、あったの? ごめん、私何も覚えてないんだ……」
「大嵐が来たの、覚えてる?」
私は首を横に振る。
「河が氾濫したんだ。堤防が無惨に壊された。みんな必死で逃げて、体一つで町を出る列車に乗り込んだ」
「河? あそこに見えてる河のこと?」
少女はうなずいた。夕日はもうだいぶ落ちて、窓の外に蛇行する河ももう見えない。そういえば、車内も橙から薄闇に変わり、照明が点いてもいいはずが、まだ点かない。
「ここからじゃもう見ても分からないよね。ひどかったよ。まるで龍が暴れているみたいだった。河に龍神が宿るって、よく言ったものだよね」
「なんで私……何も覚えてないんだろう」
「そりゃ、きっと怖かったんだよ。あまりに怖い経験があると、人はその記憶を消してしまうんだ」
「そんな……私、今、自分の名前も思い出せないよ」
「大丈夫。必要なことは今に思い出すよ」
少女は慰めるように、手を伸ばして私の髪を撫でた。自分のことも思い出せないのだから、この子のことも思い出せるはずがない。
「ねえ、あなたは誰なの? 私の友達?」
「思い出したい?」
「もちろんだよ。私が助かったこと、すごく喜んでくれてるし」
「学校では同じクラス。友達以上かな」
「友達以上?」
「口づけしたら、思い出せるかもしれない」
「ええっ?」
私が驚くと、少女はいたずらっぽく笑った。そして、私の体に腕を回し、そっと抱き寄せる。私は戸惑った。
「あ、あの、そういう関係……だったの?」
少女はうなずいた。今にも唇が触れ合いそうになるほど、顔を寄せてくる。
「思い出してほしい。体は覚えているって言うじゃない」
「で、でも……」
悪い気はしなかったが、自分はキスなんて経験あったろうかと思う。
「いい?」
澄んだ瞳で見つめられながらそう言われ、私は恐る恐るうなずいた。すぐに、少女は唇を重ねてきた。唇の触れ合う感触。それは柔らかくて、優しくて、体の力が抜けてしまいそうになる。一度だけではなく、二、三回唇を押しつけられると、今度は鼓動が早くなってくる。唇を離した瞬間、私の口から吐息が漏れた。
「思い出した?」
「ま、まだだけど……あの、こういうのは誰か来たらちょっと……」
「大丈夫。これに人はほとんど乗ってないよ」
そう言って、両腕で私を抱いて、また唇を重ねた。そのままシートに押し倒される。唇だけでなく、頬や首筋にも口づけを浴びせてくる。私の呼吸が乱れてきて、口から喘ぐような声が漏れる。
「思い出した?」
「わ……わかんない……わかんないけど……」
少女の指先が、スカートの中に入り込んで、私の脚を優しく撫でた。
「ああっ……」
全身が震える。何も思い出せないけど、どうでもいいことのような気がしてきた。私も少女を抱きしめ、何度も口づけをした。夢中になっていたが、ふと少女は体を離した。
「降りるよ」
「えっ? 駅? 着いたの?」
列車は速度を落とす気配もない。少女は首を横に振った。
「この列車は駅には止まらないよ」
そう言って、少女は列車の窓を全開にした。生暖かい、湿った風が入ってくる。
「じゃあ、行くよ」
「待って! 走っている列車からは降りられないよ」
すると、少女は微笑んだ。
「まだ思い出せないの? 私達、飛べるんだよ」
そう言って、少女は窓枠を乗り越えると、一気に外に飛び出した。その姿は、たちまち大きな翼を持つ鳥に変わり、暗くなりかかった空に消えていく。
「待って! 私も行く……」
窓枠を乗り越えようと、私は身を乗り出す。
「何やってんの!」
鋭い声がして、いきなり体が掴まれて中に引き戻された。
「窓から乗り出しちゃ危ないって、子供でも知ってるでしょ!」
私はその声で、全てを思い出していた。いつの間にか、車内の明かりも点いている。
「母さん……」
そういえば、祖母の家に行って、帰るところだった。
「ごめんなさい……でも、あの、女の子がここにいて、窓から飛び出して、鳥になって飛んでったんだけど……」
「何言ってるのよ。夢でも見てたの?」
「その子、河が氾濫して助かったとか何とか……」
さすがにキスし合ったことは言えない。母は顔をしかめる。
「それ、幽霊じゃない? この近くの河、昔から氾濫が多くて、犠牲者が結構出てるのよ」
「ええっ……幽霊?」
「夢じゃなければね」
私にキスの経験はない。だからファーストキスの相手は幽霊ということになるのか。嫌な話だ。でも……
でも、あの少女は美しくて、キスを浴びている時は夢のようだった。あのまま少女を追って外に飛び出していたら、自分も死んで仲間になってしまう。あの少女は仲間がほしかったのだろうか……
祖母の家から帰り、数日後、学校帰りに降らないはずの雨に降られた。それもバケツをひっくり返したような大雨。傘を持っていなかった私は、学生カバンを頭に乗せて、雨宿りの場所を探した。
屋根のある、シャッターの閉まった商店の軒先で雨宿りをする。降水確率0%だったはずなのに。風もなんだか強い。まるで誰かが嵐を連れてきたみたいだ……そう思った時、雨に煙る向こうから誰かが歩いてきた。傘もさしていないから、ずぶ濡れだったが、平然と歩いてくる。そして、私の前で立ち止まり、私に微笑みかけた。
「また逢えたね」
列車の中で逢った少女だった。
(終わり)
Image: Jean-Michel Jarre, Lang Lang "The Train & The River"
https://www.youtube.com/watch?v=AK-2chU3ZNs
隣のシートを見ても、向かい合う前のシートを見ても誰もいない。ということは、私はこの列車に一人で乗っていたことになる。一人で? 自分は一人で列車に乗ってどこかに行く用なんてあったろうか? そもそも、行くために乗っているのか、帰るために乗っているのかも分からない。ついでに、どこから乗ってきたのかも。ただ私は、列車に揺られている。
切符を見ればいいんだと思った。乗った駅名ぐらいは分かるはずだ。私はポケットを探ろうとしたが、ひだの多いスカートにポケットは一つで、しかもハンカチすら入っていない。他には、肩から斜めにかけているポーチがあるが、そこにも切符は入っていなかった。私は焦り始める。自分の荷物はないのだろうか。この列車は短距離用には見えないし、私はこれに長いこと乗っていたという感覚がある。
「よかった、助かったんだ!」
そんな声がして、見ると、いつの間にか通路に美しい少女が立っていて、じっと私を見ていた。気のせいか、少女の髪が濡れている。
「助かった? ……私のこと?」
「うん。これに乗っているかどうか心配してたんだよ。本当によかった」
少女は微笑しつつ私の隣に座った。そうして私の手を握る。その手は冷たかった。
「あのう……あなた、誰?」
「やだ、忘れちゃったの?」
私はうなずいた。少女から微笑が消える。
「そうか……命がけだったものね。これは最後の列車だったし。ひどいものもたくさん目にしたし……」
少女は両手で握った手を、自分の胸元に寄せる。
「何が、あったの? ごめん、私何も覚えてないんだ……」
「大嵐が来たの、覚えてる?」
私は首を横に振る。
「河が氾濫したんだ。堤防が無惨に壊された。みんな必死で逃げて、体一つで町を出る列車に乗り込んだ」
「河? あそこに見えてる河のこと?」
少女はうなずいた。夕日はもうだいぶ落ちて、窓の外に蛇行する河ももう見えない。そういえば、車内も橙から薄闇に変わり、照明が点いてもいいはずが、まだ点かない。
「ここからじゃもう見ても分からないよね。ひどかったよ。まるで龍が暴れているみたいだった。河に龍神が宿るって、よく言ったものだよね」
「なんで私……何も覚えてないんだろう」
「そりゃ、きっと怖かったんだよ。あまりに怖い経験があると、人はその記憶を消してしまうんだ」
「そんな……私、今、自分の名前も思い出せないよ」
「大丈夫。必要なことは今に思い出すよ」
少女は慰めるように、手を伸ばして私の髪を撫でた。自分のことも思い出せないのだから、この子のことも思い出せるはずがない。
「ねえ、あなたは誰なの? 私の友達?」
「思い出したい?」
「もちろんだよ。私が助かったこと、すごく喜んでくれてるし」
「学校では同じクラス。友達以上かな」
「友達以上?」
「口づけしたら、思い出せるかもしれない」
「ええっ?」
私が驚くと、少女はいたずらっぽく笑った。そして、私の体に腕を回し、そっと抱き寄せる。私は戸惑った。
「あ、あの、そういう関係……だったの?」
少女はうなずいた。今にも唇が触れ合いそうになるほど、顔を寄せてくる。
「思い出してほしい。体は覚えているって言うじゃない」
「で、でも……」
悪い気はしなかったが、自分はキスなんて経験あったろうかと思う。
「いい?」
澄んだ瞳で見つめられながらそう言われ、私は恐る恐るうなずいた。すぐに、少女は唇を重ねてきた。唇の触れ合う感触。それは柔らかくて、優しくて、体の力が抜けてしまいそうになる。一度だけではなく、二、三回唇を押しつけられると、今度は鼓動が早くなってくる。唇を離した瞬間、私の口から吐息が漏れた。
「思い出した?」
「ま、まだだけど……あの、こういうのは誰か来たらちょっと……」
「大丈夫。これに人はほとんど乗ってないよ」
そう言って、両腕で私を抱いて、また唇を重ねた。そのままシートに押し倒される。唇だけでなく、頬や首筋にも口づけを浴びせてくる。私の呼吸が乱れてきて、口から喘ぐような声が漏れる。
「思い出した?」
「わ……わかんない……わかんないけど……」
少女の指先が、スカートの中に入り込んで、私の脚を優しく撫でた。
「ああっ……」
全身が震える。何も思い出せないけど、どうでもいいことのような気がしてきた。私も少女を抱きしめ、何度も口づけをした。夢中になっていたが、ふと少女は体を離した。
「降りるよ」
「えっ? 駅? 着いたの?」
列車は速度を落とす気配もない。少女は首を横に振った。
「この列車は駅には止まらないよ」
そう言って、少女は列車の窓を全開にした。生暖かい、湿った風が入ってくる。
「じゃあ、行くよ」
「待って! 走っている列車からは降りられないよ」
すると、少女は微笑んだ。
「まだ思い出せないの? 私達、飛べるんだよ」
そう言って、少女は窓枠を乗り越えると、一気に外に飛び出した。その姿は、たちまち大きな翼を持つ鳥に変わり、暗くなりかかった空に消えていく。
「待って! 私も行く……」
窓枠を乗り越えようと、私は身を乗り出す。
「何やってんの!」
鋭い声がして、いきなり体が掴まれて中に引き戻された。
「窓から乗り出しちゃ危ないって、子供でも知ってるでしょ!」
私はその声で、全てを思い出していた。いつの間にか、車内の明かりも点いている。
「母さん……」
そういえば、祖母の家に行って、帰るところだった。
「ごめんなさい……でも、あの、女の子がここにいて、窓から飛び出して、鳥になって飛んでったんだけど……」
「何言ってるのよ。夢でも見てたの?」
「その子、河が氾濫して助かったとか何とか……」
さすがにキスし合ったことは言えない。母は顔をしかめる。
「それ、幽霊じゃない? この近くの河、昔から氾濫が多くて、犠牲者が結構出てるのよ」
「ええっ……幽霊?」
「夢じゃなければね」
私にキスの経験はない。だからファーストキスの相手は幽霊ということになるのか。嫌な話だ。でも……
でも、あの少女は美しくて、キスを浴びている時は夢のようだった。あのまま少女を追って外に飛び出していたら、自分も死んで仲間になってしまう。あの少女は仲間がほしかったのだろうか……
祖母の家から帰り、数日後、学校帰りに降らないはずの雨に降られた。それもバケツをひっくり返したような大雨。傘を持っていなかった私は、学生カバンを頭に乗せて、雨宿りの場所を探した。
屋根のある、シャッターの閉まった商店の軒先で雨宿りをする。降水確率0%だったはずなのに。風もなんだか強い。まるで誰かが嵐を連れてきたみたいだ……そう思った時、雨に煙る向こうから誰かが歩いてきた。傘もさしていないから、ずぶ濡れだったが、平然と歩いてくる。そして、私の前で立ち止まり、私に微笑みかけた。
「また逢えたね」
列車の中で逢った少女だった。
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