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ある歌手の独白(オリジナル)

投稿者:べにすずめ
2015/08/09 21:57 [ 修正 ]
レズビアンの自作自演歌手が、自分と、高校時代からあこがれている先輩女性歌手の人生を振り返る内容です。作中登場するブログ主にまでモデルが実在しているので、ずいぶん前に書いたのにネットへのアップをためらっていたものです。モデルがわかった方はメールで言ってくださいね。
私の名前はひかるといって、性別は女性。近年ヒット曲には恵まれていないが、自作自演歌手をやっている。
私には、大きな地方都市に住んでいたアマチュア時代から、永遠の目標・憧れとも言うべき先輩女性シンガーがいる。
今日は彼女の話をしよう。
私より5歳年上の彼女は、私が高校生だった頃から女の子だけでバンドを組んで活動していた。
21世紀の今日よく言われる「遠征」とでも言う感じで、私の住む街までライヴしにやってきたのを、私が当時の音楽仲間に連れられて見に行ったのが始まりだった。
実は彼女が住むのは、私が住む街より東に、新幹線で50分ほど行った街だったのだけど。
私は高校2年生だった。
彼女のその歌は、パワフルで衝撃的だった。
バンドのアンサンブル自体は、今述懐するとさほどレベルが高いものではなかったけど(これが彼女の人生を、私とはまた別の意味で、波乱万丈にしてしまうのだが)、テレキャスターをかき鳴らしながら、黒いスリムジーンズを履いて歌う彼女は、間違いなく高いレベルの歌を歌っていた。
澄んだ高い声が、ブルージーにザラついていたり。当時流行っていた、デジタルなポップロックバンドの女性ヴォーカリストのような、フェイクの入れ方をしてみたり。
演奏中にふと垣間見える色っぽさとか。
30分5曲だけの演奏で、離れた街から来た年上の彼女――ユミさんは、私の永遠の憧れの先輩となった。
翌日から私は、私服に黒いジーンズを選び、ギターをかついで歩いていた。髪は伸ばそうか、迷って、結局伸ばしてみたりもした。
高校生だった私だが、当時、人生で初めての女の子の恋人がいた。
女子校だったので、「女だから」という無形の社会規範にとらわれずに過ごせてもいた。
片想いだか憧れだかわからないいくつかの経験の後で出来たその彼女とは、大学1年の冬まで続いた。
その同級生の恋人に妬かれるほど、私のユミさんへの傾倒は激しかった。ああいう風になりたいと憧れてやまなかった。そのうち当時の彼女は、まず自 身がユミさんのライヴに行くことを、続いて私がユミさんのライヴに行くことを嫌がったほどだった。
不幸なことに私の声は、ユミさんと違ってかなり低かったので、自分で納得の行く歌い方を、ひとりで模索していかざるを得なかったのだが。
字余りな歌をつくらないユミさんのソング・ライティングは、20年経った今でも私のお手本である。
時代は80年代の終わりに向かう頃。
ユミさんが大ヒット曲を出した少し後の時代と違って、私のような低い声をした者にもデビューのチャンスが来た。
やがて私は、男性メンバーばかりとバンドを組まされて、そのヴォーカルとしてデビューする。
後で、このデビュー形態自体にも、強い違和感を感じることになるけれど。
少しずつファンもつかんで、「明るく元気・やや子供っぽい」イメージで私たち(というか、特に「私」のイメージ)のバンドは浸透していっていた。
ただし。
私は、デビュー3年目あたりから違和感を感じ始めるようになる。
「『チャイルディッシュ・ボーイッシュな少女が、やがてキレイに大人になる』形の成長ストーリー」を演じるレールに乗せられている、と気づいたことが最初のきっかけだった。
バンドを「組まされた」こと自体にも違和感を感じていった。
売れているバンドは本当に売れていて、女の子ばかりのバンドもたくさんメジャー・シーンにいて、女性の自作自演歌手も70年代にもまして増えていた。
その頃になると、ユミさんと話をする機会も、多少はあった。
大学3年生でデビューした私よりも、1年半早くデビューしていたユミさんはというと。
前述したことの続きになるが、バンドのメンバーを2人男性に入れ替えてメジャー・デビューはしたものの、メンバー同士の息も方向性も合わず、バンドは空中分解していた。
良いアルバムをつくってはいたのだが。
日毎夜毎のペースで、新たなバンドが青田買いされてはデビューしていたこの時代。ライヴハウスやコンサート会場はだいたいどこも客の入りが良く、大きな会場にたくさんのバンドが集まってのライヴ・イベントも花盛りだった。今日で言うところの「野外フェス」のルーツ・第2段階と言ったところであろう(「第1段階」はもちろん、吉田拓郎さんあたりが始めた「つま恋」なんかのことと考えましょうか)。
シングルCD自体の平均売り上げ枚数は、後の時代の2割くらいの売り上げ枚数だったけど。
そのイベントの日、出番が終わった私は、クレンジングクリームで化粧を落として洗顔をしながら(あまり化粧が好きではないのだ)、モニターから聞こえてくる、私たちの後を引き継いだ、カラフルな衣装といきなりの大ヒットでマスコミでも話題となった女性ばかりのバンドの音を、聴くともなしに聴いていた。
「ひかるちゃん、ちょっといい?」
「あれ、ユミさん? ご無沙汰です、どうぞ」
私は、軽く彼女を受け入れた。
あれ、なんかユミさん変わった?
「相変わらず化粧苦手?」
「覚えてたんですか?」
「撮影終わるとかライヴ終わるといっつも顔洗っとるもん、ひかるちゃんは」
「そんなにスか……」
この時代は「雑誌が人気バンドをつくる」ような時代でもあったっけ。企画モノなどのスタジオ撮影も多かったし、この日のようなイベントの日は何処の雑誌もこぞって取材班が来てる。インターネットがなかったからだけど。
さて、この頃になるとユミさんのバンドは、彼女のソロ・プロジェクトと化していた。
この日の彼女はバンドでの出演はなく、彼女と仲のいい男性ばかりのバンドの時間帯に、飛び入りのような形で1曲(ローリング・ストーンズの「サティスファクション」だった)参加していただけだった。
しかもユミさんはこの日、黒の長いスカートを履いて登場したので会場は三重くらいの驚きに包まれていた。
長いスカートがトレードマークの女性ヴォーカリストなら、この時代には、それで人気があったひとがいたから、ロングスカートでロックを歌うこと自体は変ではなかったけど、それまでそんな服装で、ステージにあがったことのないひとが、そんなことをしたらびっくりするのはアリだろう(レコードジャケットでは2枚ほどあったが)。
ああ、なんか変わったと思ったら、スカートか。
だから私も、それをまず話題の種にする。
「ライヴでスカートなんて珍しいですね。初めて見ますよ」
「うん、初めて……今日はみんな、口を開けばそればっかりだよ」
「そりゃみんな驚くでしょう――ユミさんと言えばブラックスリムだったし……なにかあったんですか? 心境の変化とか」
「へへ……あのねえ……」
あたし今、妊娠しとるんだわ。
ユミさんは、ふっくらした唇に、彼女の故郷の言葉を少し混ぜて乗せて、言った。
この発言を聞いたそばから私を襲った感情を、21世紀の今述懐して言語化すると「寂しさ」になる。
ちなみにユミさんはこの時点でも現在も結婚はしていないのだが。
(それを言うなら私も、法律婚の経験はない。20代後半から数年、女性パートナーと暮らした時期もあったのだが、それは別の話だから割愛する)。
「明後日ロスに行くんだ。1年くらい帰ってこない。向こうで産んでくる。予定は11月の終わりかな。
ひかるちゃんには言っておきたくってさ。
頑張ってね。なんかつらそうだけど、歌だけは止めちゃダメだよ」
「……ハイ」
「あたしは帰ってくるから。キツイことがありそうだけど」
ユミさんはこうも言って、私の頭をぽんぽんと撫でてから、楽屋を出て行った。
私は、ひとりになった楽屋で、当時の自分には意味のよくわからなかった涙を流した。
年末に海を越えてユミさんから来たクリスマスカードには、「11月25日生まれの男の子です。よろしく!」という言葉と、不思議に輝いているユミさんと、しっかりした顔立ちの男の子の画像が収まっていた。
そのカードを受け取って年が明けて、新年度に変わる前、私のバンドは解散した。
私は休学していた大学に復学し、その時点から2年かけて卒業した。
レコードビジネスの世界で売れることについても、懐疑的になっていった。
それでも、ユミさんが「止めちゃダメだよ」と言ってくれたこともあって、また歌いたいという気持ちは、あったけど。
私のバンドが解散して2年後、ユミさんは名実ともにソロになった。
その間に私は、自分がレズビアンである・女性といた方が上手く行くということを自覚し、そこからまた人生が開けていくのだが。
彼女は、その頃飛ぶ鳥を落とす勢いだった事務所に移籍して、時代の主流の音質でつくられたタイアップヒット曲を連発するようになる。
この頃は、私たちがデビューした頃の『手づくり』感が消えて、クリアで整理されて品質もそこそこ高いのはいいけれど、ひとによっては「大量生産に近い」という印象を受けるタイプの音の時代になっていた。
ユミさんのソロ第一弾シングルを聴かせてもらった瞬間、私はガッカリした。
高いキーを張り上げて歌うタイプの歌い方に変わっていたから。
この時期からしばらくずっと続くことになる、女性歌手の売れ線な歌い方で歌ってるユミさんの歌。
ユミさんて、実は小器用だったんだ。
なんだか違う気がして、私はこう感想を述べた。
「ユミさんのキーの高さは生かせてる。音も流行りのつくりだし、多分これは売れる。だけど、私は好きじゃないな」
歌い方が変わってしまってて、私は悲しくなったんだ。
知名度があがって味わったあの苦しさを、ユミさんも味わうのかと思ってしまって、私の方がネガティブになっていた。
同じ頃、私の方もレズビアンであることをカミングアウトして。そのあたりをストレートに出したアルバムをつくることなどで忙しくなっていったこともあって、ユミさんのことは違う世界のことのような感覚で、テレビに出たり有線で流れるのを聞いていた。
彼女はゴールデンタイムの子供向けテレビ番組の主題歌を歌って、150万枚売り上げる大ヒットを記録したのだった。
ユミさんの曲が大ヒットしてから10年以上が過ぎた、21世紀になってずいぶん経った時期のこと。
その日、ヒマだった私は、東京に借り直して久しい自宅で、ふらふらとネットサーフィンをしていた。
そのネットサーフィンで私は、ユミさんのファンだという、若いらしい男の子のブログを見つけた。
どうやら彼は、あの、私が苦手だと感じた、ユミさんの一連のヒット曲を聴いて、彼女のファンになったみたいで。
彼は、バンド時代の曲もソロの曲も、どんな歌い方の歌もかなり等しく好きなようだった。歌詞についてはわかりにくさもあるようだけど、最近になって理解できる部分も増えてきたみたい。
こういうファンを得られたということは、ユミさんは実は、幸せな歌手なのではないだろうか、と思った。
器用貧乏なのかもしれないけど。
それも悪くないことなんだね。
器用さごと愛してもらえてる。
そのブログを読んでから半日で私は、自分が持っているユミさんの音源を、全部1回ずつ聴きなおした。
聴きなおして、よく考えてみたら。
違うのは、歌い方と、声やギターの歪ませ具合、あとウインドチャイムの使用頻度くらいだ(ウインドチャイムはソロの方が多い)。ザラつき具合と言うか。
歌詞も、字余りになってないところも、実は変わってないんだよね。
後からまとめて聴くうちに見えてくるものもあるなあ。
重ねて私は、そのままネット通販で、ユミさんのここ10年くらいのアルバムを全部注文して聴いてみた。
そうしたら。
昔の歌い方でも歌っていたのだ。
どんな歌でもユミさんはユミさんなんだな。
やっと気づけた。
でもって、このブログ主さんに関しては。
ジャケットとかでふと見えることがある、ユミさんのオリジナルな色っぽさをわかった上で彼女のファンをやっているのなら、見どころあるな、とか思ったりする私だった。
こういうリスナーに聴いてもらえるきっかけになるのなら、大ヒットが出るのも良いことだよね。
そして私は、もっと前向きに、音楽をやりたいと思った。
そして、ユミさんとももう1度話したい。
私は歌い続けよう。
どんな歌を歌ってもひかるはひかるだ、と好きでいてくれるリスナーに会うために。
いつか1度でも、ユミさんと肩を並べたと、自分で納得できる歌を歌えるように。
FIN
私には、大きな地方都市に住んでいたアマチュア時代から、永遠の目標・憧れとも言うべき先輩女性シンガーがいる。
今日は彼女の話をしよう。
私より5歳年上の彼女は、私が高校生だった頃から女の子だけでバンドを組んで活動していた。
21世紀の今日よく言われる「遠征」とでも言う感じで、私の住む街までライヴしにやってきたのを、私が当時の音楽仲間に連れられて見に行ったのが始まりだった。
実は彼女が住むのは、私が住む街より東に、新幹線で50分ほど行った街だったのだけど。
私は高校2年生だった。
彼女のその歌は、パワフルで衝撃的だった。
バンドのアンサンブル自体は、今述懐するとさほどレベルが高いものではなかったけど(これが彼女の人生を、私とはまた別の意味で、波乱万丈にしてしまうのだが)、テレキャスターをかき鳴らしながら、黒いスリムジーンズを履いて歌う彼女は、間違いなく高いレベルの歌を歌っていた。
澄んだ高い声が、ブルージーにザラついていたり。当時流行っていた、デジタルなポップロックバンドの女性ヴォーカリストのような、フェイクの入れ方をしてみたり。
演奏中にふと垣間見える色っぽさとか。
30分5曲だけの演奏で、離れた街から来た年上の彼女――ユミさんは、私の永遠の憧れの先輩となった。
翌日から私は、私服に黒いジーンズを選び、ギターをかついで歩いていた。髪は伸ばそうか、迷って、結局伸ばしてみたりもした。
高校生だった私だが、当時、人生で初めての女の子の恋人がいた。
女子校だったので、「女だから」という無形の社会規範にとらわれずに過ごせてもいた。
片想いだか憧れだかわからないいくつかの経験の後で出来たその彼女とは、大学1年の冬まで続いた。
その同級生の恋人に妬かれるほど、私のユミさんへの傾倒は激しかった。ああいう風になりたいと憧れてやまなかった。そのうち当時の彼女は、まず自 身がユミさんのライヴに行くことを、続いて私がユミさんのライヴに行くことを嫌がったほどだった。
不幸なことに私の声は、ユミさんと違ってかなり低かったので、自分で納得の行く歌い方を、ひとりで模索していかざるを得なかったのだが。
字余りな歌をつくらないユミさんのソング・ライティングは、20年経った今でも私のお手本である。
時代は80年代の終わりに向かう頃。
ユミさんが大ヒット曲を出した少し後の時代と違って、私のような低い声をした者にもデビューのチャンスが来た。
やがて私は、男性メンバーばかりとバンドを組まされて、そのヴォーカルとしてデビューする。
後で、このデビュー形態自体にも、強い違和感を感じることになるけれど。
少しずつファンもつかんで、「明るく元気・やや子供っぽい」イメージで私たち(というか、特に「私」のイメージ)のバンドは浸透していっていた。
ただし。
私は、デビュー3年目あたりから違和感を感じ始めるようになる。
「『チャイルディッシュ・ボーイッシュな少女が、やがてキレイに大人になる』形の成長ストーリー」を演じるレールに乗せられている、と気づいたことが最初のきっかけだった。
バンドを「組まされた」こと自体にも違和感を感じていった。
売れているバンドは本当に売れていて、女の子ばかりのバンドもたくさんメジャー・シーンにいて、女性の自作自演歌手も70年代にもまして増えていた。
その頃になると、ユミさんと話をする機会も、多少はあった。
大学3年生でデビューした私よりも、1年半早くデビューしていたユミさんはというと。
前述したことの続きになるが、バンドのメンバーを2人男性に入れ替えてメジャー・デビューはしたものの、メンバー同士の息も方向性も合わず、バンドは空中分解していた。
良いアルバムをつくってはいたのだが。
日毎夜毎のペースで、新たなバンドが青田買いされてはデビューしていたこの時代。ライヴハウスやコンサート会場はだいたいどこも客の入りが良く、大きな会場にたくさんのバンドが集まってのライヴ・イベントも花盛りだった。今日で言うところの「野外フェス」のルーツ・第2段階と言ったところであろう(「第1段階」はもちろん、吉田拓郎さんあたりが始めた「つま恋」なんかのことと考えましょうか)。
シングルCD自体の平均売り上げ枚数は、後の時代の2割くらいの売り上げ枚数だったけど。
そのイベントの日、出番が終わった私は、クレンジングクリームで化粧を落として洗顔をしながら(あまり化粧が好きではないのだ)、モニターから聞こえてくる、私たちの後を引き継いだ、カラフルな衣装といきなりの大ヒットでマスコミでも話題となった女性ばかりのバンドの音を、聴くともなしに聴いていた。
「ひかるちゃん、ちょっといい?」
「あれ、ユミさん? ご無沙汰です、どうぞ」
私は、軽く彼女を受け入れた。
あれ、なんかユミさん変わった?
「相変わらず化粧苦手?」
「覚えてたんですか?」
「撮影終わるとかライヴ終わるといっつも顔洗っとるもん、ひかるちゃんは」
「そんなにスか……」
この時代は「雑誌が人気バンドをつくる」ような時代でもあったっけ。企画モノなどのスタジオ撮影も多かったし、この日のようなイベントの日は何処の雑誌もこぞって取材班が来てる。インターネットがなかったからだけど。
さて、この頃になるとユミさんのバンドは、彼女のソロ・プロジェクトと化していた。
この日の彼女はバンドでの出演はなく、彼女と仲のいい男性ばかりのバンドの時間帯に、飛び入りのような形で1曲(ローリング・ストーンズの「サティスファクション」だった)参加していただけだった。
しかもユミさんはこの日、黒の長いスカートを履いて登場したので会場は三重くらいの驚きに包まれていた。
長いスカートがトレードマークの女性ヴォーカリストなら、この時代には、それで人気があったひとがいたから、ロングスカートでロックを歌うこと自体は変ではなかったけど、それまでそんな服装で、ステージにあがったことのないひとが、そんなことをしたらびっくりするのはアリだろう(レコードジャケットでは2枚ほどあったが)。
ああ、なんか変わったと思ったら、スカートか。
だから私も、それをまず話題の種にする。
「ライヴでスカートなんて珍しいですね。初めて見ますよ」
「うん、初めて……今日はみんな、口を開けばそればっかりだよ」
「そりゃみんな驚くでしょう――ユミさんと言えばブラックスリムだったし……なにかあったんですか? 心境の変化とか」
「へへ……あのねえ……」
あたし今、妊娠しとるんだわ。
ユミさんは、ふっくらした唇に、彼女の故郷の言葉を少し混ぜて乗せて、言った。
この発言を聞いたそばから私を襲った感情を、21世紀の今述懐して言語化すると「寂しさ」になる。
ちなみにユミさんはこの時点でも現在も結婚はしていないのだが。
(それを言うなら私も、法律婚の経験はない。20代後半から数年、女性パートナーと暮らした時期もあったのだが、それは別の話だから割愛する)。
「明後日ロスに行くんだ。1年くらい帰ってこない。向こうで産んでくる。予定は11月の終わりかな。
ひかるちゃんには言っておきたくってさ。
頑張ってね。なんかつらそうだけど、歌だけは止めちゃダメだよ」
「……ハイ」
「あたしは帰ってくるから。キツイことがありそうだけど」
ユミさんはこうも言って、私の頭をぽんぽんと撫でてから、楽屋を出て行った。
私は、ひとりになった楽屋で、当時の自分には意味のよくわからなかった涙を流した。
年末に海を越えてユミさんから来たクリスマスカードには、「11月25日生まれの男の子です。よろしく!」という言葉と、不思議に輝いているユミさんと、しっかりした顔立ちの男の子の画像が収まっていた。
そのカードを受け取って年が明けて、新年度に変わる前、私のバンドは解散した。
私は休学していた大学に復学し、その時点から2年かけて卒業した。
レコードビジネスの世界で売れることについても、懐疑的になっていった。
それでも、ユミさんが「止めちゃダメだよ」と言ってくれたこともあって、また歌いたいという気持ちは、あったけど。
私のバンドが解散して2年後、ユミさんは名実ともにソロになった。
その間に私は、自分がレズビアンである・女性といた方が上手く行くということを自覚し、そこからまた人生が開けていくのだが。
彼女は、その頃飛ぶ鳥を落とす勢いだった事務所に移籍して、時代の主流の音質でつくられたタイアップヒット曲を連発するようになる。
この頃は、私たちがデビューした頃の『手づくり』感が消えて、クリアで整理されて品質もそこそこ高いのはいいけれど、ひとによっては「大量生産に近い」という印象を受けるタイプの音の時代になっていた。
ユミさんのソロ第一弾シングルを聴かせてもらった瞬間、私はガッカリした。
高いキーを張り上げて歌うタイプの歌い方に変わっていたから。
この時期からしばらくずっと続くことになる、女性歌手の売れ線な歌い方で歌ってるユミさんの歌。
ユミさんて、実は小器用だったんだ。
なんだか違う気がして、私はこう感想を述べた。
「ユミさんのキーの高さは生かせてる。音も流行りのつくりだし、多分これは売れる。だけど、私は好きじゃないな」
歌い方が変わってしまってて、私は悲しくなったんだ。
知名度があがって味わったあの苦しさを、ユミさんも味わうのかと思ってしまって、私の方がネガティブになっていた。
同じ頃、私の方もレズビアンであることをカミングアウトして。そのあたりをストレートに出したアルバムをつくることなどで忙しくなっていったこともあって、ユミさんのことは違う世界のことのような感覚で、テレビに出たり有線で流れるのを聞いていた。
彼女はゴールデンタイムの子供向けテレビ番組の主題歌を歌って、150万枚売り上げる大ヒットを記録したのだった。
ユミさんの曲が大ヒットしてから10年以上が過ぎた、21世紀になってずいぶん経った時期のこと。
その日、ヒマだった私は、東京に借り直して久しい自宅で、ふらふらとネットサーフィンをしていた。
そのネットサーフィンで私は、ユミさんのファンだという、若いらしい男の子のブログを見つけた。
どうやら彼は、あの、私が苦手だと感じた、ユミさんの一連のヒット曲を聴いて、彼女のファンになったみたいで。
彼は、バンド時代の曲もソロの曲も、どんな歌い方の歌もかなり等しく好きなようだった。歌詞についてはわかりにくさもあるようだけど、最近になって理解できる部分も増えてきたみたい。
こういうファンを得られたということは、ユミさんは実は、幸せな歌手なのではないだろうか、と思った。
器用貧乏なのかもしれないけど。
それも悪くないことなんだね。
器用さごと愛してもらえてる。
そのブログを読んでから半日で私は、自分が持っているユミさんの音源を、全部1回ずつ聴きなおした。
聴きなおして、よく考えてみたら。
違うのは、歌い方と、声やギターの歪ませ具合、あとウインドチャイムの使用頻度くらいだ(ウインドチャイムはソロの方が多い)。ザラつき具合と言うか。
歌詞も、字余りになってないところも、実は変わってないんだよね。
後からまとめて聴くうちに見えてくるものもあるなあ。
重ねて私は、そのままネット通販で、ユミさんのここ10年くらいのアルバムを全部注文して聴いてみた。
そうしたら。
昔の歌い方でも歌っていたのだ。
どんな歌でもユミさんはユミさんなんだな。
やっと気づけた。
でもって、このブログ主さんに関しては。
ジャケットとかでふと見えることがある、ユミさんのオリジナルな色っぽさをわかった上で彼女のファンをやっているのなら、見どころあるな、とか思ったりする私だった。
こういうリスナーに聴いてもらえるきっかけになるのなら、大ヒットが出るのも良いことだよね。
そして私は、もっと前向きに、音楽をやりたいと思った。
そして、ユミさんとももう1度話したい。
私は歌い続けよう。
どんな歌を歌ってもひかるはひかるだ、と好きでいてくれるリスナーに会うために。
いつか1度でも、ユミさんと肩を並べたと、自分で納得できる歌を歌えるように。
FIN
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