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イヴ(オリジナル)
私が美化委員になったのは、放課後に教室で何らかの掃除や片づけをする日があるから。その日だけは終わったあと、誰もいない教室の窓からかの先輩を見下ろしていることができる。鋼のような足で大地を蹴って走る姿が美しく、いつまでも見ていたかった。友達は大抵、男子生徒を見つめているが、私の見つめているかの先輩は女子だ。
でも見つめているだけでは……私はため息をつく。話しかけたい。話しかけられたい。私はきっと舞い上がってしまう。私も陸上部に入ればいいのかもしれないが、私の体力はてんでなってない。私にも何か魅力がほしいけれど、何も自信がない。声をかけたって相手にされそうもない。
その日も先輩を見つめていることで疲れてしまい、一人とぼとぼ帰った。家の近くまで来ると、リンゴ売りの小さいトラックが出ていて、その場でリンゴを売っている。ふと見ると妙に高価なものがあった。札があって「知恵の樹の実」と書いてあった。名前が何だか気になったので、家に帰ってネットで調べてみると、旧約聖書でイヴが蛇にそそのかされて食べたリンゴの名前だという。
誘惑という言葉に、私はいろいろ想像した。もしやあの蛇は女の化身で、甘いリンゴでイヴを禁断の恋に誘惑したのだ。知恵の木の実ならそれができる。私はお金を握って家を飛び出していた。トラックはまだそこにいた。
「これはおいしいよぉ。素晴らしい味だからね」
リンゴ売りのおじさんはそう言って笑う。もっと妖しく売ってくれるのかと思ったらそうではなかった。普通のリンゴなのかもしれない。
それでも次の日、私はリンゴを持って、初めて校門近くで先輩の帰りを待った。陸上の練習が終わって校庭を引き上げて、いよいよ出てくる。心臓が高鳴って、何を言ってしまうか分からなくて、制服に着替えた先輩が友達と出てきたのを見ると、のぼせ上がって汗ばんで胸がきゅっと痛くなった。どうしよう……先輩は一人きりじゃない。当然と言えば当然だけど。私はためらっていたが、思い切って駆けていき、先輩の前に出た。先輩含め全員が驚いた。私は夢中になって先輩にリンゴを差し出す。
「あの新藤先輩……この、これ、食べて下さい」
「私に?」
先輩は優しくも、いたずらっぽい口調で訊く。
「はい……」
「どうして?」
「えっ……」
理由を訊かれるとは思わなかった。他の先輩もいるので、好きだからとかストレートに言う度胸がとても無かった。私は必死になって、違うことを考える。
「あのう……その……せ、先輩の田舎、リンゴ農家じゃありませんでしたっけ……」
先輩は何度か目をしばたたかせる。言うことが適当過ぎたと思い、私はリンゴ並に赤くなってしまった。他の先輩の目線が冷たい。でも、先輩は私を見て微笑んだ。
「あ、そっか、品評してほしいんだね……いいよ。よく知ってるね。うちの田舎長野なんだ」
そう言って、私のリンゴを受け取ると、部活のバッグに無造作に放り込んだ。
「結果は追って伝えます。じゃあね」
そう言って軽く手を振ると、友達と笑い合って行ってしまった。
次の日、特に何もなかった。先輩のところに出向いて訊いてみようかどうしようかと迷った。でもそもそも「知恵の樹の実」なんていう普通でないリンゴの効果を期待したので、何かこちらからわざわざ聞きに行ったりしたのでは、なんだかそれは単に普通のリンゴだと認めることみたいで、どうにもできない。
もう一日経って、何もなくて、私はがっかりした。要するに高価なだけで普通のリンゴだと悟った。そうなると、自分で食べた方がよかったのではと思えてくる。バカだなと思う。
その日は雨の放課後、私はまた教室の掃除をしていた。今日は校庭に陸上部はいないけれど、私は何か一生懸命やっていたかった。バカな自分を忘れたい。ふと、教室の入口に誰か来た。見ると、制服姿の先輩だった。
「新藤先輩……」
「偉いね。一生懸命掃除してる。探しちゃったよ。名前も聞いてなかったんだもの」
「あ、そ、そうでしたね」
「あのリンゴ、品種は普通のふじだけど大きく作ったね」
「えっ? 本当にリンゴ農家だったんですか?」
「本当にって? やだ、あなた適当に言ったの?」
「あ、そ、それは……」
あまりにバカなことを言ってしまい、私はまた赤くなってうつむいてしまう。でも私は、先輩が目の前にいて、自分の相手をしてくれるだけで空を漂っているような気分だった。先輩は私の所に近づいてくる。そしてハンカチを出して、私の額を拭いた。私は驚く。
「えっ……あの……」
「掃除のし過ぎかな。汚れてる」
「あ、す、すみません……」
「あのね、うちの田舎はリンゴ農家じゃないよ」
「えっ……じゃあどうして……」
「一生懸命なあなたを、助けたかったから……かな」
そして先輩は、スポーツバッグからあのリンゴを出した。
「ほら、今日ちょうど食べ頃になったよ。一緒に食べよ」
そう言って私に笑いかけた。
でも見つめているだけでは……私はため息をつく。話しかけたい。話しかけられたい。私はきっと舞い上がってしまう。私も陸上部に入ればいいのかもしれないが、私の体力はてんでなってない。私にも何か魅力がほしいけれど、何も自信がない。声をかけたって相手にされそうもない。
その日も先輩を見つめていることで疲れてしまい、一人とぼとぼ帰った。家の近くまで来ると、リンゴ売りの小さいトラックが出ていて、その場でリンゴを売っている。ふと見ると妙に高価なものがあった。札があって「知恵の樹の実」と書いてあった。名前が何だか気になったので、家に帰ってネットで調べてみると、旧約聖書でイヴが蛇にそそのかされて食べたリンゴの名前だという。
誘惑という言葉に、私はいろいろ想像した。もしやあの蛇は女の化身で、甘いリンゴでイヴを禁断の恋に誘惑したのだ。知恵の木の実ならそれができる。私はお金を握って家を飛び出していた。トラックはまだそこにいた。
「これはおいしいよぉ。素晴らしい味だからね」
リンゴ売りのおじさんはそう言って笑う。もっと妖しく売ってくれるのかと思ったらそうではなかった。普通のリンゴなのかもしれない。
それでも次の日、私はリンゴを持って、初めて校門近くで先輩の帰りを待った。陸上の練習が終わって校庭を引き上げて、いよいよ出てくる。心臓が高鳴って、何を言ってしまうか分からなくて、制服に着替えた先輩が友達と出てきたのを見ると、のぼせ上がって汗ばんで胸がきゅっと痛くなった。どうしよう……先輩は一人きりじゃない。当然と言えば当然だけど。私はためらっていたが、思い切って駆けていき、先輩の前に出た。先輩含め全員が驚いた。私は夢中になって先輩にリンゴを差し出す。
「あの新藤先輩……この、これ、食べて下さい」
「私に?」
先輩は優しくも、いたずらっぽい口調で訊く。
「はい……」
「どうして?」
「えっ……」
理由を訊かれるとは思わなかった。他の先輩もいるので、好きだからとかストレートに言う度胸がとても無かった。私は必死になって、違うことを考える。
「あのう……その……せ、先輩の田舎、リンゴ農家じゃありませんでしたっけ……」
先輩は何度か目をしばたたかせる。言うことが適当過ぎたと思い、私はリンゴ並に赤くなってしまった。他の先輩の目線が冷たい。でも、先輩は私を見て微笑んだ。
「あ、そっか、品評してほしいんだね……いいよ。よく知ってるね。うちの田舎長野なんだ」
そう言って、私のリンゴを受け取ると、部活のバッグに無造作に放り込んだ。
「結果は追って伝えます。じゃあね」
そう言って軽く手を振ると、友達と笑い合って行ってしまった。
次の日、特に何もなかった。先輩のところに出向いて訊いてみようかどうしようかと迷った。でもそもそも「知恵の樹の実」なんていう普通でないリンゴの効果を期待したので、何かこちらからわざわざ聞きに行ったりしたのでは、なんだかそれは単に普通のリンゴだと認めることみたいで、どうにもできない。
もう一日経って、何もなくて、私はがっかりした。要するに高価なだけで普通のリンゴだと悟った。そうなると、自分で食べた方がよかったのではと思えてくる。バカだなと思う。
その日は雨の放課後、私はまた教室の掃除をしていた。今日は校庭に陸上部はいないけれど、私は何か一生懸命やっていたかった。バカな自分を忘れたい。ふと、教室の入口に誰か来た。見ると、制服姿の先輩だった。
「新藤先輩……」
「偉いね。一生懸命掃除してる。探しちゃったよ。名前も聞いてなかったんだもの」
「あ、そ、そうでしたね」
「あのリンゴ、品種は普通のふじだけど大きく作ったね」
「えっ? 本当にリンゴ農家だったんですか?」
「本当にって? やだ、あなた適当に言ったの?」
「あ、そ、それは……」
あまりにバカなことを言ってしまい、私はまた赤くなってうつむいてしまう。でも私は、先輩が目の前にいて、自分の相手をしてくれるだけで空を漂っているような気分だった。先輩は私の所に近づいてくる。そしてハンカチを出して、私の額を拭いた。私は驚く。
「えっ……あの……」
「掃除のし過ぎかな。汚れてる」
「あ、す、すみません……」
「あのね、うちの田舎はリンゴ農家じゃないよ」
「えっ……じゃあどうして……」
「一生懸命なあなたを、助けたかったから……かな」
そして先輩は、スポーツバッグからあのリンゴを出した。
「ほら、今日ちょうど食べ頃になったよ。一緒に食べよ」
そう言って私に笑いかけた。
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表示回数 625 (since 2012/8/17)
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